『わたしを離さないで』カズオ・イシグロ 感想
わたしを離さないで
著者:カズオ・イシグロ
訳者:土屋政雄
本作は2005年にイギリスで出版後、2010年には映画化、2016年には日本でテレビドラマ化もされ、2017年にはイシグロ氏がノーベル文学賞を受賞したこともあり、知ってる方も多いのではないでしょうか。
私も2006年に日本で出版されたときに新聞の書評で知り、1度手に取ったものの集中力が出なくて冒頭しか読まなかったんですよ。
その後テレビドラマを見てある程度満足しましたが、やっぱり原作も読んでおきたいと再チャレンジしてみました。
この作品、内容を説明するときにどこまでネタバレをするかがとても悩ましく、巻末の解説にも予備知識は少なければ少ないほどよい作品と書かれてるし、文庫版の訳者あとがきにも同じようなことが書いてます。
なのでこの作品をこれから読んでみたいとお考えの方は、ここから先の私の感想は読まずに、さっさと本を手に取っていただけたらいいんじゃないかと思います。
以下、感想。ネタバレありです。
本の内容
優秀な介護人キャシー・Hは「提供者」と呼ばれる人々の世話をしている。生まれ育った施設へールシャムの親友トミーやルースも「提供者」だった。キャシーは施設での奇妙な日々に思いをめぐらす。図画工作に力を入れた授業、毎週の健康診断、保護官と呼ばれる教師たちのぎこちない態度……。彼女の回想はヘールシャムの残酷な真実を明かしていく。
物語は介護人として働くキャシーが、自身の育った「ヘルーシャム」という施設のことや、ヘルーシャムの頃からの幼馴染トミーやルースとの思い出を、愛おしむように回想するものなんですが、
この「ヘルーシャム」一見すると全寮制の学校のようにも見えるのですが、一体どういう施設なのか、「介護人」とはどういう仕事なのか、これらの重要な情報が序盤のうちは伏せられています。
中盤には明かされていきますが、キャシーたちは臓器移植のドナーになるためだけに作られた誰かのクローン人間であり、ヘルーシャムはそんなクローンたちを育てると同時に隔離する施設。
そして介護人とは、作中では提供と称させる臓器移植をしたあとのクローンたちの世話する仕事であり、いずれ自分も提供をする側、提供者になるのを待つ身分なんですよね。
何も知らずに読んだら、じわじわと驚かされると同時に「そういうことだったのか!」と腑に落ちる経験が出来るのではないでしょうか。
私は新聞の書評でクローンと臓器移植のネタバレをされましたし、ドラマも見ちゃってるのでそういう驚きは体験出来なかったのですが。
ただ書評でショッキングな設定を知らされたからこそ本作に興味を持ったわけで、別に新聞を恨んだりはしてません。それにクローンや臓器移植について伏せたまま本作を語るのは難しいですから。
むしろ序盤は分かりづらいヘルーシャムという施設については、ドラマのおかげでとっつきやすくなったとも思いますし、再読するような気分で楽しませていただきました。
世界観やストーリーは暗く重くショッキングな作品ですが、キャシーの何もかもを愛おしむような語り口には、とても暖かみがあります。
例えば幼馴染のルースという女の子はなかなか面倒くさい子で、キャシーと何度も喧嘩したり気まずくなったりするのですが、そういった必ずしも楽しくはなかった出来事さえも懐かしく愛おしく語るので、読んでいる私もルースのことが愛おしく思えてきます。
またヘルーシャムを卒業して介護人になるまでのわずかな期間、コテージと呼ばれる場所で数年間はある程度自由に生活することを許されるのですが、その期間にルースがオフィスで働くという夢を語っていて、それが切ない。
ルースたちの未来は、介護人になり提供者となって生を終えると決められているのに。未来を決められ狭められた者たちの物語なのに。
ただ読者の私たちの未来は、ルースたちのように誰かに決められたり狭められていないだろうか。未来を決まってると諦めてないだろうか。
ルースもキャシーもトミーも、決められた不条理な運命を前にして語る夢は、何だかとても尊いです。
私自身には臓器移植のドナーにならなければいけないというような過酷な宿命はありませんが、どんなときでも夢は大事なのかなと思わせます。
とても重く切ない話だけど、キャシーのともかく優しい語り口による暖かさの方が印象に残る作品でした。
クローン人間たちの犠牲の上で医学の発展した世界の話だけど、現実でも誰かの犠牲で成り立ってる幸福というのは色々あるよね。
犠牲になる貴方たちには申し訳ないけどそれが現実なの。今さらクローンによる提供のなかった時代になんて戻れないわ。色々なメタファーとしても読めます。
あと本の感想とはちょっと違いますけど、一人称と意味深な言葉のタイトルに惹かれるんですよね、私。