『ヘビトンボの季節に自殺した五人姉妹』ジェフリー・ユージェニデス 感想
ヘビトンボの季節に自殺した五人姉妹
訳者:佐々田雅子
本の内容
ぼくらが皆あこがれていたリズボン家の五人姉妹が、次々と謎の自殺を遂げた。美しく、個性的で、秘密めいてすらいた彼女たちは、その死でぼくらの心をさらに惹きつけた。時を経て今、ぼくらはふたたび彼女たちの思い出の中にさまよい出す。ぼくらを変えた、その最期を知るために。甘美で残酷な、異色の青春小説
本著を知ったのは『わたしを離さないで』を読んだときに、巻末にある同じ出版社のおすすめ書籍みたいなところで紹介されていたんですよ。
タイトルを聞いて全然内容が分からないけど、そのミステリアスさに惹かれて手に取ってみました。
以下感想、ネタバレありです。
さてタイトルからは分からなかった本の内容は、タイトル通りにヘビトンボの季節に自殺した五人姉妹の話でした。
まずヘビトンボというのは幼虫の頃は水の中で過ごし、羽化し成虫になると空を飛ぶようになる昆虫です。
6月頃に羽化し、町中を覆いつくす旺盛な繁殖力を持ちつつも、作中では羽化した後は24時間しか生きられない儚い昆虫とも語られます。
そんなヘビトンボが羽化する時期に自殺した、リスボン家の5人姉妹の話ということです。
ただ物語は姉妹たちの視点で語られることはなく、近所に住んでいたり同じ学校に通っている少年たちもとい、大人になった元少年たちの視点で語られ、
自殺した姉妹たちが当時何を考え、何を悩んでいたのかを振り返り考えるような内容です。姉妹たちの内面というのは(元)少年たちの憶測の域を出ません。
なので少女たちの物語でもありますが、(元)少年たちの物語でもあります。というか個人的には少年たち話という印象の方が強いです。
物語の中心にいるリスボン家の5人姉妹は、長女テレーズ17歳、次女メアリイ16歳、三女ボニー15歳、四女ラックス14歳、五女セシリア13歳。
語り手である少年たちは強い関心を持ちつつも、母親のミセズ・リスボンは厳しめの人だったりして、なかなかアプローチをかけられず、何だかヘタレ感が否めません。
強い興味がありながらも姉妹たちのことはよく分かっていないし、姉妹というセットで認識している面もちょっとあり、1人1人をあまり識別していない節もあります。
姉妹たちを学園祭に誘う言わばグループデートのときも、誰がどの姉妹を相手をするのか事前に決めてなかったりとかね。可愛い女の子だったら誰でもいい感じ。
少年たちのエピソードで特に面白かったのが、四女のラックスがしていた口紅と同じブランドの口紅を少年の1人が塗って、その少年にキスすることでキスの味を知ろうとする件ね。馬鹿じゃねーの(笑)。思春期の少年の情動は怖いね。
そんな少年たちの面白奇行エピソードもありますが、物語の本筋は五女セシリアの自殺を皮切りに、ゆっくりと崩壊していくリスボン家という明るくはない話です。
そんな姉妹たちを救うことは出来ず、ただ見ているだけしか出来なかった少年たちの話です。
読んでいて退屈はしなかったですが、正直私にはこの話が何を伝えたかったのかよく分かりませんでした。
巻末の解説も読むと、私にはこの作品を理解するための知識や経験が足りてなかったのかも。1970年代のアメリカはピンとこないです。
登場人物も多く、ミスタ○○やらミセズ○○やらとほぼ覚えられてません。
語り手である(元)少年たちも、一人称は「ぼくら」という個人を特定しないし、「ぼくら」とは何人いて誰が「ぼくら」で誰が「ぼくら」ではないのかハッキリしないし。
5人姉妹とその両親、あとは四女ラックス個人と深く関わるトリップ少年以外の名前はあまり覚えず読んでしまったよ。
姉妹たちは姉妹たちだけで行動することが多く、他に交流してる様子は少なかったし、覚えなくても重要な立ち回りをする人物はかなり限られてるっぽいので大丈夫に思えましたが……、大丈夫よね?
しかし姉妹というグループじゃなくて、特定の子に対して関心を持ってた少年はトリップぐらいよ。
あと解説まで読んで知りましたが『ヴァージン・スーサイズ』というタイトルで映画化もされてる作品だったんですね。監督はソフィア・コッポラ。
私が手に取った文庫本の表紙が、5人の少女たちの写真だったので誰なんだろう思ってたんですが、どうやら映画のポスター写真を表紙に採用したんですね。
映画も観たら本作のことももっと理解出来るかしら。