『キャッチャー・イン・ザ・ライ』J.D.サリンジャー 感想
著者:J.D.サリンジャー
訳者:村上春樹
内容説明
村上春樹訳 新時代の『ライ麦畑でつかまえて』
さあ、ホールデンの声に耳を澄ませてください。
J.D.サリンジャーの不朽の青春文学『ライ麦畑でつかまえて』が、村上春樹の新しい訳を得て、『キャッチャー・イン・ザ・ライ』として生まれ変わりました。ホールデン・コールフィールドが永遠に16歳でありつづけるのと同じように、この小説はあなたの中に、いつまでも留まることでしょう。雪が降るように、風がそよぐように、川が流れるように、ホールデン・コールフィールドは魂のひとつのありかとなって、時代を超え、世代を超え、この世界に存在しているのです。さあ、ホールデンの声に(もう一度)耳を澄ませてください。
図書館で借りたお楽しみ袋に入ってた1冊(以前感想を書いた3冊とは別の袋)。
『ライ麦畑でつかまえて』のタイトルでも有名な本作、私はまったく内容を知らないまま手に取りました。さらに言うと翻訳を手掛けた村上春樹さんの本も読んだことがありません。
果たして初めて読む『ライ麦畑でつかまえて』が村上春樹訳で良かったのか、初めて読む村上春樹作品が『キャッチャー・イン・ザ・ライ』で良かったのか、それらは分かりませんがとりあえず読んでみました。
以下感想、ネタバレはほんのちょっと。
ホールデン少年が“君”に対して、去年のクリスマス前に起こった出来事を語る物語。
3度目の学校の退学処分になったホールデンは、思い付きで予定より数日早く学校の寮を出て、具体的な目的もなく過ごす数日の出来事。
ホールデンの印象は、自分のことは棚に上げて他人欠点ばかり挙げ連ねるような奴、正直言って最悪、嫌な奴。彼の気持ちに寄り添おうという気になりづらい。
そんな好感の持てない主人公だったこともあり、読み始めてしばらくは退屈でした。
きっと導入のクリスマス前の話が終われば面白くなっていくのかなと思ってたんですが、一向に導入が終わらない。
3分の1くらい読んだ辺りで、このクリスマス前の出来事自体が本編なのかなと気付きました。
退屈だなと思いながら読んでたんですけど、ふと音読してみるとスラスラ詰まらず読みやすい。読みやすいリズム感がある。
なので黙読してて飽きてきたら音読、音読してて疲れてきたら黙読といった風に読んだりもしました。
ただ自分のことを棚上げして、他人の欠点ばかり見つける彼に悪感情を抱いてしまうのは、自分にも同じような一面がまったくないとは思わないからなんですよね。
考え方がまったく分からないわけじゃないから、自分の自覚したくない負の一面を見せつけられてるような不快感を感じさせる主人公だから好きになれない。
そんな好きになれない主人公だけど、自分と共通項を感じないわけでもない主人公なので、出来ればハッピーエンドを迎えてほしいと願ってしまう。
でも落ちこぼれな上ろくでなしな奴だし、ハッピーエンドを迎えられる気があんまりしない。3分の2くらい読んだ頃にはそんな不安な気持ちで読んでいました。
ホールデンも自分の兄弟とかにはすごく優しい気持ちを持ってたり、そんな根っからの嫌な奴じゃないんですよ。
何か色々と上手くいかない不器用な奴なんですよ。
そんな思春期の少年の自分探しの旅というのが本作でしょうか。
読んでいて楽しくなる作品ではないけど、憎めない作品でした。