『屋根裏の仏さま』ジュリー・オオツカ 感想
屋根裏の仏さま
著者:ジュリー・オオツカ
- 作者: ジュリーオオツカ,Julie Otsuka,岩本正恵,小竹由美子
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2016/03/28
- メディア: ペーパーバック
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内容紹介
百年前、「写真花嫁」として渡米した娘たちは、何を夢みていたのか。厳しい労働を強いられながら、子を産み育て、あるいは喪い、懸命に築いた平穏な暮らし。だが、日米開戦とともにすべてが潰え、町を追われて日系人収容所へ――。女たちの静かなささやきが圧倒的な声となって立ち上がる、全米図書賞最終候補作。
戦前、写真と手紙だけを頼りに、会ったこともない男と結婚するためにアメリカに渡った日本人女性たち。しかしアメリカで待っていた男たちは、写真や手紙で聞かされていたのとは全く違っていた。そして戦争により対日感情の悪化、日系人収容所へと送られることに……、男から裏切られ、アメリカから裏切られ、そんな苦難を味わった女性たちの物語でした。
以下ちょっとだけネタバレ。ただネタバレを気にするタイプの本ではないと思います。
まず特徴的なのが、一人称がわたしたちであること。
特定の個人の人生、物語ではなく、アメリカに渡った様々な女性たちの人生の断片が繋ぎ合わさって、1つの物語になっています。
ともかく1つ1つのエピソードがとても濃く強く、濁流のように訴えてくるんですよ。
わたしたちの中には日本に帰った女性、送り返された女性もいたみたいですが、大半の女性は帰ることも出来ず、写真とは似ても似つかぬ男と夫婦として生活して、聞いていた条件とは違う、畑で重労働の生活。
その後はさらに、家や畑を置いて、日系人収容所に送られる。ともかく不条理。
印象的なエピソードはたくさんあるのですが、いつか彼ら(アメリカ人)の土地を去ろうと夢を語る女性。その話を少しだけ引用すると、
荷物をまとめて日本に帰ろう。(中略)母さんは井戸の横にしゃがみ、たすきをかけて、夕食の米を研いでいるだろう。そして、わたしたちを見ると、立ち上がって見つめるだろう。「おや、おまえ」と母さんは言うだろう。「いったいどこに行ってたんだい」
きっと彼女は帰ることは出来ないから、夢を語っているのだろうと思うと、涙が出てくる。
こんな目には遭いたくないと思うと同時に、遭わせる側にもなりたくないとも思う。外国人実習生の問題とか、入国管理局収容所の待遇とか、思い起こさせる。
本著では日系人収容所にわたしたちが送られた後のことはほとんど語られません。わたしたちは何処へ行ったのか、わたしたちは何をしているのか。ただわたしたちが町からいなくなったことが語られるだけです。
オオツカ氏の前作であり処女作である『天皇が神だったころ』は、本著では描かれなかった日系人収容所に送られた家族の話らしいので、いずれ読んでみたいです。
追記
2018年9月に処女作の方が、新しい翻訳で再び出版されました。
同じく日系移民を題材にしてる小説。こちらは日系ブラジル人のお話。テーマが少し近いかなと思ったのでリンクを貼ります。