『悲しみよこんにちは』フランソワーズ・サガン 感想
著者:フランソワーズ・サガン
訳者:朝吹登水子
- 作者: フランソワーズサガン,Francoise Sagan,朝吹登水子
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 1955/06/25
- メディア: 文庫
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あらすじ
セシルはもうすぐ18歳。プレイボーイ肌の父レイモン、その恋人エルザと、南仏の海辺の別荘でヴァカンスを過ごすことになる。そこで大学生のシリルとの恋も芽生えるが、父のもうひとりのガールフレンドであるアンヌが合流。父が彼女との再婚に走りはじめたことを察知したセシルは、葛藤の末にある計画を思い立つ……。
別記事で書きましたが、本作は15歳の時に一度読んだことがあるのですが、あれから13年ほど経ち、改めて読み返してみました。
以下感想。ネタバレは遠回しに。
・主人公セシルが若い
読んでいて一番印象残ったのは17歳の主人公セシルの若さです。
昔読んだときは亡母の友人、42歳のアンヌに大人びた印象をもった記憶はあるのですが、今読むとセシルの若さの方が印象的。
本作は出版当時18歳だったサガンの、若者による若者に向けた本だったのかなと思いました。
アンヌに対し、深く尊敬してるかと思えば強く憎悪したり、強い感情を目まぐるしく動かす様子。
そして結末を知った上で読んだからこそ、より強く思う、考えの浅はかさなど。*1
セシルの行動力や好奇心の高さに対して、
慇懃で知的で、いつも落ち着いたアンヌが対比になることで、
セシルの若さ、幼さがくっきりと浮かんできます。
もしかしたら、私もセシルのような青春を送る選択肢もあり得たんだろうかなとか(ない)、
セシルというキャラクターは、サガンが自己投影をして書いたと思うけど、どこまでがサガン本人の投影で、どこからが別人なのだろうかと。
ある種の理想的な女性として描かれてるアンヌは、自身より二回りも年上だったが、当時はどんな思いで書き、その歳に追いつき、追い越した時は何を感じていたのか。
そんなことも考えながら読みました。
・翻訳が古くやや読みにくい
私が読んだ朝吹さんの訳は、1955年に翻訳されたもの*2なので、少し読みづらいと感じました。「奢侈」とかググって意味調べたよ。
これから新しく読むのなら、河野万里子さんの新訳の方が、もしかしたら読みやすいかもしれません。
河野さん訳のサガン著『逃げ道』を昔読んだことがありますが、とても面白かったので、きっと素敵な訳に仕上がってると思います。
読み比べても楽しそう。